zakky's report
忘れっぽい自分のために。。。 映画や本などの備忘録です。 感想というよりも備忘録がメインなので、かなり長いし、ネタバレしまくりです。。。すみません。
ユナイテッド93
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2001年9月11日に起きた米国同時多発テロ(通称「911」)を題材にした実話ドキュメンタリー映画。この「911」でハイジャックされた4機の旅客機にうち、唯一標的に到達しなかったユナイテッド航空93便の様子を克明に描いている。また、航空管制機関、軍や政府の関係機関の混乱ぶりも克明に描いている。
(「Oricon」データベースより)
2001年9月11日、ハイジャックされた4機の旅客機のうち、ターゲットには到着せず墜落した“ユナイテッド93便”の運命をドキュメンタリー・タッチで描く。膨大な取材をもとに、ポール・グリーングラス監督が贈るノンフィクション・サスペンス。
2001年9月11日の朝、ハーンドン連邦航空管制センターの責任者ベン・スライニーは同僚に昇進を祝福されながら出社した。その日の空の状況は、大統領の移動に伴う航空規制で若干の混雑はあったものの、天候も良好で特に問題のない状態だった。
その頃ボストン航空管制塔では、ロサンゼルス行きアメリカン航空11便からの連絡が途絶え、その交信内容からハイジャックされた可能性が高いことを掴み、すぐさま、ハーンドン連邦航空管制センターへ連絡を入れていた。
そして問題のユナイテッド航空93便はというと、そんなことは知る由もなく、ニューアーク空港で予定通り乗客の搭乗を済ませたものの、空の交通渋滞に巻き込まれて離陸を待たされていた。
程なくしてアメリカン航空11便がニューヨークへと進路を急変させる。今でこそ、世界貿易センターに突っ込むぞ!何とかしろ!と思う訳だが、管制関係者もまさか旅客機での自爆テロなんて想像すらできずに、途絶えた連絡を復旧するのと他機との接触を避けるために必死に動いていた。ちょうどその頃、ユナイテッド航空93便が30分以上の遅れで運命の離陸。そんな混乱の最中、レーダーからアメリカン航空11便の影が突如として消えてしまう。。。そして、世界貿易センターが炎上しているとのCNNの放送が。。。
ここからはまさに大混乱。CNNも当初は世界貿易センターに突っ込んだのは小型機と放送していた。航空管制機関では、アメリカン航空11便が世界貿易センターに激突したと確信するのだが、しばらくして軍関係機関からアメリカン航空11便がまだ飛行中との情報が流れてくる。結果的に、最初に世界貿易センターに突っ込んだのは紛れもなくアメリカン航空11便なのだが、情報が錯綜し、何が真実なのか分からなくなってしまう。そしてそんな混乱振りを嘲笑うかのように、管制や軍の多くの関係者が見守る中、2機目のユナイテッド航空175便が世界貿易センターに激突した。さらに3機目、アメリカン航空77便が国防総省(ペンタゴン)に墜落した。その頃、ユナイテッド航空93便の機内でも犯人によるハイジャックが起きていた。
この異常事態の中で勇敢な決断をした人物がいる。ハーンドン連邦航空管制センターの責任者ベン・スライニーだ。しかもスライニー本人の出演らしい。軍の鈍い動きに痺れを切らし、軍の大佐に向かって、「必要なのは行動だ!」と啖呵を切り、3機目がペンタゴンに墜落した直後に、米国空域の全ての旅客機を着陸させて、全世界に対する米国封鎖を決断したのもこの人だ。
そしてユナイテッド航空93便の乗客たちもまた辛い決断を下していた。機内電話や携帯電話を使って、世界貿易センターに2機が激突し、さらにペンタゴンにも墜落している情報を知り、これが普通のハイジャックと違うことを知る。いよいよ助からないと思い知り、家族に辛い別れの電話を入れることに。このシーン、非常に辛い。辛すぎた。そして、このままただでは死なない、飛行機を奪い返す、と決断した乗客たち。。。
結局、飛行機を奪い返すあと一歩のところで墜落。しかし、その標的と言われていたホワイトハウス(一説によると国議会議事堂の可能性も)に届かなかったのは紛れもなく彼らの功績だろう。飛行機奪還作戦開始からは管制や軍の動きに関する描写はなく、管制や軍には何もできなかったというのが事実なんだろう。墜落直前の映像はリアルすぎてマジ怖かった。
それにしてもこの映画、起きた事実を克明に描いているんだけど、テロに関する思想的な部分には一切触れていない。それが逆にリアルさを醸し出しているようにも思えるし、やっぱりアメリカ万歳映画のようにも受け取れてしまう。数年前の大規模テロということで遺族感情もあるだろうし、テロ首謀者の存在も意識しなければいけない。そんなデリケートな題材でここまでリアルさを追求したのはスゴイと思う。
・ユナイテッド93@映画生活
素数に憑かれた人たち
素数に関わる数学上の大問題「リーマン予想」についての解説本。あの難解なリーマン予想をどこまで噛み砕いて解説してくれるのか。。。著者によれば大学で数学関連の講義を2〜3取った人が前提らしい。ちなみに、この本を読んでもリーマン予想が理解できなかった諦めた方がいいそうだ。かなりの自信だ。個人的には、マーカス・デュ・ソートイの『素数の音楽 (新潮クレスト・ブックス)
(「MARC」データベースより)
150年間数学者を虜にし続け、21世紀の今なお未解決の素数の重要問題「リーマン予想」。この歴史と、証明・反証に取り組んだ数学者達のエピソード、謎の理解に必要な数学を示しながらまとめた、挫折と勝利の群像ドラマ。
全22章からなる大作だが、奇数章が数学的な解説、偶数章がその背景となる歴史や伝記的な話という構成で、なかなか読みやすい構成。構成はいいんだけど文章がイマイチ。もしかすると日本語訳が悪いのかもしれないが、微妙な修飾語などが気になる。サイモン・シンやマーカス・デュ・ソートイのような、頭に染み渡る文章じゃない。それが残念だ。あ、でも、このテの本で索引がついているのは非常にうれしい。
さて、まず最初に引き込まれたのは、第1章冒頭部分のトランプを使った思考の話。重ねたトランプの一番上のカードを落ちないギリギリのところまでせり出させる。この時は単純にカードの1/2がせり出すことになる。次に二番目のカードも同様にせり出させる。上に乗っていて半分だけせり出している一番目のカードも一緒に動くので、二番目のカード自体は半分もせり出せず、2枚のカードの合計の重心まで動かせることになる。で、これを繰り返すことで一番目のカードは最終的にいくらでもせり出させることが可能だと。これは驚いた。ちなみに52枚のトランプなら最終的に一番目のカードは2.25枚分せり出させることが可能。カード100枚分せり出させるには、何と405,709,150,012,598兆枚の1兆倍の1兆倍の1兆倍の1兆倍の1兆倍のカードを用意すればいいらしい。ちなみにこれだけ重ねると宇宙の広さすら超えてしまうらしいが。。。
続く第2章ではリーマンの人生について語られる。リーマン、実は相当な貧乏で受けられた教育も人並み以下だったとか。そしてその貧乏が災いして、身体はかなりの貧弱。それがずっと尾を引いて、39歳の若さでこの世を去ってしまう。うーん、悲しすぎる。この人がもし長生きしていたらどうなっていたのだろうか。リーマン予想を自力で解いちゃったんじゃないだろうか。。。
第8章では、リーマンの数学能力が見出される話が。リーマンは長い不遇の時期を何とか乗り越えて、28歳で教授資格を得た。その5年後には相次いで亡くなったガウス、ディリクレに続くゲッティンゲン正教授の地位に着くことに。そして、さらには若くしてアカデミー通信会員の一員となり、その栄誉を飾るために素数に関する論文を発表する。この論文が後に数学界の難問として語り継がれる発端となった。
こうして長い長い前フリを経て、いよいよ第11章からリーマン予想の核心に迫ることになる。
この辺りまで進んでいくと、「黄金の鍵」というキーワードが何度となく出てくる。一体何なんだろうと思ったら「オイラーの積の公式」のことらしい。これを鍵に見立てて回すことで、リーマンの辿った道筋を追うことができるらしい。実際、第19章でこの「黄金の鍵」を回すのだが、これはちょっと。。。難しすぎる。。。何だコリャ。。。orz
あ、第8章に出てきた「チェビシェフの偏り」は面白かった。どういうものかというと、2以外の素数を4で割ると余りは必ず1か3になる。で、素数101までで見ると、余り1の素数が12個、余り3の素数が13個となる。そして、素数1009までなら81個と87個になるし、素数10007までなら609個と620個となり、わずかながら常に余り3の方が多くなっている。この偏りが「チェビシェフの偏り」とのこと。で、てっきり余り3の方が必ず多くなるものかと思いきや、何と素数26861のところでこの偏りは破れ、そこから一時的に余り1の方が多くなる。著者によれば、最初の580万個の素数のうち、余り1が多くなるのはたった1939個らしい。
それからスキューズ数にも驚いた。これは自然数eのe乗のe乗の79乗で、その数は「10の1兆乗の1兆乗のさらに100億乗」桁になるという。数学の証明から自然に出た数の中では最大のものになるという。で、これはリーマン予想が正しい場合に、リトルウッド違反となる(素数個数関数π(x)が対数積分関数Li(x)よりも大きくなる)最初のxがこのスキューズ数になるらしい。
そんなこんなでいろいろと数学を堪能しつつ、第20章ではリーマン予想の最近の成果について触れている。難しい。。。アラン・コンヌのアデールとかさっぱり分からんかった。。。orz でも、このアラン・コンヌはかなりいい線いってるらしい。
第21章ではリーマン予想の本質についてズバリ書かれている。リーマン予想って何か有名で難解で素数に関連して、ってイメージばかりでその本質は分かりにくいんだけど、結局のところ、その本質とは次の通りらしい。『ゼータ関数の自明でない零点は、π(x)とLi(x)の差、つまり素数定理における誤差項の大きな成分をなしている。』
さてさて、このリーマン予想、正しいと見るのが多数派だが、それでも反証があるのかもしれない。コンピュータがあれば反証探しなんて楽に思えるけど、そのコンピュータの能力をはるかに超えた先に反証が潜んでいるかもしれないという。結局、リーマン予想にはコンピュータは役に立たない。このリーマン予想、本当に正しいのだろうか?それとも数の遥か彼方にその反証が潜んでいるのだろうか。。。謎のまま終わってしまった。
夏と花火と私の死体
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毎日暑い日が続いてたので、何か乙一作品が読みたくなった。というわけで、乙一デビュー作品を選んでみた。表題作「夏と花火と私の死体」と「優子」の2本が収録されている。
(「BOOK」データベースより)
九歳の夏休み、少女は殺された。あまりに無邪気な殺人者によって、あっけなく―。こうして、ひとつの死体をめぐる、幼い兄妹の悪夢のような四日間の冒険が始まった。次々に訪れる危機。彼らは大人たちの追及から逃れることができるのか?死体をどこへ隠せばいいのか?恐るべき子供たちを描き、斬新な語り口でホラー界を驚愕させた、早熟な才能・乙一のデビュー作、文庫化なる。第六回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞受賞作。
まずは、デビュー作「夏と花火と私の死体」。
幼く拙い殺人者の死体遺棄逃避行ストーリー。その無邪気であっさりとした死生感は、蒸し暑い日に読むのがオススメかと。
物語は主人公(なのか???)の五月、その五月と仲良しの弥生、そして弥生の兄の健が中心になって進んでいく。ただ、普通と違うのは主人公の五月が物語の前半で弥生に殺されてしまうところ。
そしてこの作品の最大の特徴は、この死体となった五月の一人称で語られること。生きていた時も、まさに死んでいく時も、そして死んでからも、五月の語り口調には全く変化がなく、その冷静で視点と他人事のような語り口にはすごい違和感を覚える。もちろんこの違和感こそが作者の狙いなんだろう。死体なのに片足からサンダルが脱げたことを恥ずかしがったりしてて、なかなか不思議な感じ。
で、健と弥生は五月の死体をハラハラしながらあの手この手で隠そうとするんだけど、その死体自身が冷静に淡々と語ってしまうため、そのハラハラ感がちょっと伝わってこない。まぁ、その独特なタッチこそがこの作品の魅力だから仕方ない。
あと、ところどころであまりに上手くいき過ぎるので、何かシラけてしまう。この辺は当時16歳でのデビュー作品ということで、良くも悪くも荒削り。
ただ、最後は意外な終わり方で、なるほど〜、うまくオチをつけたなぁ、って感じ。何か一応、みんな納得の終わり方ってことで、ある意味ハッピーエンドなのかもしれない。あ、五月のお母さんだけは納得できないだろうけど。。。
そして次、2本目「優子」は、田舎村のいわくつき名士の家の主人、政義とそこに住み込みで働いている女性、優子の悲しい話。
こちらも何か不気味な描写、怪談チックな物語で結構ぞわ〜ってなった。「夏と花火と〜」とは違って、結構伏線を張り巡らして、それらを最後に一つにくっつけて、ぞわわ〜ってさせる。なかなか見事でした。やべ、思い出しても鳥肌が。。。こちらも暑い日にオススメです。
で、最後は一体誰が混乱していたのか?ほんとに優子?それとも政義? えっ?まさか自分? ぞわわわ〜、って感じでした。
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