zakky's report
忘れっぽい自分のために。。。 映画や本などの備忘録です。 感想というよりも備忘録がメインなので、かなり長いし、ネタバレしまくりです。。。すみません。
疑心―隠蔽捜査3
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今野敏の隠蔽捜査シリーズ第3弾。竜崎の強烈なキャラクターが今作でも爆発。より大きな舞台で大活躍する。
<シリーズの過去のレビューはこちら>
第1弾 隠蔽捜査
第2弾 果断―隠蔽捜査2
主人公は警察庁官僚の竜崎。警察庁長官官房総務課長というエリートコースを歩んでいた竜崎だったが、第1作で息子の不祥事(ヘロイン吸引)により警視庁大森警察署署長への降格人事を受ける。所轄の署長となってもその真っ直ぐな性格は変わらず、当初は浮いていた竜崎だったが、第2作の立て篭もり事件で自ら前線指揮を執り、所轄の面々と心を通わすことになる。
そして、本作ではアメリカ合衆国大統領来日の警備において、竜崎は方面警備本部長に抜擢される。キャリアとはいえ、所轄の署長が方面本部長に任命されるのは異例中の異例。しかし竜崎の担当する第二方面警備本部にはエアフォースワン(大統領専用機)が着陸する羽田空港があり、その警備を巡ってシークレットサービス先遣隊との軋轢に悩まされることになる。
つい先日、オバマ大統領の初来日が報道されていたが、その裏には警察の多大な苦労があったんだろうと改めて思った。
(オンライン書店ビーケーワンより)
キャリアながら息子の不祥事で大森署署長に左遷された竜崎伸也。異例の任命で、米大統領訪日の方面警備本部長になった彼のもとに飛び込んできたのは、大統領専用機の到着する羽田空港でのテロ情報だった…。シリーズ第3作。
主人公の竜崎、本作品でもその偏屈ぶりは健在だ。妻の冴子曰く「唐変木」 そんな唐変木竜崎が署長を務める大森署で、アイドル山咲真美の一日署長イベントが開かれる。このイベント自体は問題なく終わったが、アイドルが来ただけで署員が舞い上がったことに、竜崎は理解できずにいた。唐変木ここにあり。
さて、そんな竜崎は、アメリカ合衆国大統領来日の警備で第二方面警備本部長へと抜擢される。警視総監が本部長となる綜合警備本部の下に設置される方面警備本部。通常は方面本部長が方面警備本部長につき、所轄の署長である竜崎が任命されるのは異例中の異例。
幼なじみで同期入庁の伊丹警視庁刑事部長を通して警視庁の藤本警備部長、落合警備企画課長に確認すると、第二方面本部の野間崎管理官が言い出しっぺということが分かる。実はこの野間崎は前作で竜崎とやり合って、完膚なきまでに叩きのめされたという過去がある。これは謀略か? 疑心にかられる竜崎。
結局、藤本警備部長に諭され、第二方面警備本部長に就任することになった竜崎。そして、本来なら第二方面警備本部長に就くはずだった長谷川第二方面本部長が副本部長となり、その秘書官としてあの野間崎管理官もやってきた。さらに女性キャリアの畠山美奈子が竜崎の秘書官としてやってくる。
タイトスカートが似合ういい女、畠山は、かつて竜崎が警察庁総務課広報室長だったときに、彼の下で研修を受けていた。そして8年ぶりの再会となったワケだが、なぜか竜崎は彼女のことが気になり始める。最初こそ、そんなはずはないと抵抗していた竜崎も、四六時中彼女のことを考え、彼女が他の男性と近づくだけで不愉快になり、夜も眠れないほど嫉妬に狂い始めると、自分が畠山に夢中になっていることに驚きつつも認める。その狂いっぷりは本人も言うようにまるで中学生だ。いや、ある意味中学生以下か? 夜も眠れないって、、、
さて、そんな色ボケ中の竜崎のところにシークレットサービス先遣隊のハックマンがやってくる。第二方面警備本部の管轄である羽田空港の警備に加わりたいということだった。ロサンゼルス留学経験のある畠山がハックマンの通訳を買って出たため、また嫉妬のタネが増えてしまった竜崎。そうこうしているうちにハックマンは空港の監視カメラの記録から不審人物を見つけ出す。その不審人物は1日おきに服装を変え、合計3回ビデオに写っていた。すぐさま羽田空港の閉鎖を要求するハックマン。
竜崎もさすがに空港閉鎖の要求を呑むことはできず、総合警備本部に掛け合うようにハックマンに言う。藤本警備部長から警察庁を通し、外務省、国土交通省にも根回ししたものの結局空港閉鎖はできないという結論に。納得いかずに騒ぎ散らすハックマンを再び押し付けられた竜崎は、畠山とハックマンの両方の問題を抱えることに。
そういえば『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!
さて、方面警備本部長という重責よりも畠山のことの方が大きな問題となりつつある竜崎だったが、なんと禅の公案「婆子焼庵」でこれを解決する。つーか、これで立ち直れるのはさすが竜崎。ちなみに恋の関係は諦め、仕事の関係を持つことに頭を切り替えるという、諦めの境地のような解決方法だ。さすが原理原則を重んじる変人なだけある。伊丹もそれで立ち直ったのかと驚いていた。
恋の悩みから解放された竜崎は自信を取り戻して仕事に専念する。ハックマンの執拗な要求にも自らの責任で大統領を脅かすテロ犯を拘束し、大統領に危険を及ぼさないと宣言する竜崎。勢いよく啖呵を切ったはいいが、何の手掛かりもなしに犯人を見つけ出せるだろうかという周囲の不安をよそに、なぜか竜崎は自信に溢れていた。今までの弱気な竜崎がウソみたいだ。
ここで今や竜崎の懐刀ともいえる大森署の戸高刑事がまたまた大活躍。方面警備本部の特命班に入った戸高は管内で起きた大規模な交通事故の後処理を手伝っていた。この事故の最初の原因となった大型トラックの運転手が行方をくらましており、戸高がそれを追っていた。
ハックマンの見つけた不審人物と戸高が追っていた人物が一致した時、全てがつながった。1日おきに空港に現れていたのはトラックの運転手として、1日おきに空港に出入りしていたからで、大掛かりな空港の捜索でも不審点が見つからなかったのは、この人物が空港のターミナルではなく、整備工場でテロを画策していたからだった。そしてこの情報を元に、警視庁の各部が一斉に動き出し、犯人を確保。それにしても犯人の名前が小島義雄って、、、あのオッパッピー芸人と同姓同名。。。
テロを未然に防ぎ、大統領の来日は無事全ての日程を終えることができた。あれほど騒いでいたハックマンも最後は竜崎を認め、友情を確認して大森署を後にしていった。それから竜崎がずっと疑っていた長谷川第二方面本部長は、本当に竜崎を評価してるように見えたがどうなんだろう。野間崎管理官もよく分からないところがある。前回はあれだけやられたのに今回は普通に接していた。竜崎の成功に悔しげな描写もないままだったし、この辺がよく分からなかった。方面警備本部長への抜擢の言いだしっぺでもあるし、実はいいヤツ?
そして、今回のヒロイン畠山も第二方面警備本部の解散と共に大森署を去ることに。最後に畠山が竜崎のことをアイヌ語で「エオリパク」と言う。この辺は作中で種明かししないで欲しかった。それにしても畠山はさすがに優秀なキャリアだ。このアイヌ語も実に当たり前の言葉だった。
最後はやはり妻の冴子だ。一連の色恋沙汰を見透かしたような言葉にさすがの竜崎もタジタジ。やはり竜崎の奥さんは冴子にしか務まらないんでは?と思った。
いやぁ、今回も十分楽しめた。このシリーズは2年に1回ペースで出ているようなので、次は再来年か??? 早く出て欲しい。
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数学ガール/ゲーデルの不完全性定理
待ちに待ったシリーズ第3弾。オイラー、フェルマーに続いて取り上げられるのはゲーデル。イニシャルがE、F、Gと続いているのは偶然らしい。著者がブログにそう書いていた。
過去2作のレビューはこちら
第1作 数学ガール
第2作 数学ガール/フェルマーの最終定理
今回のテーマ「ゲーデルの不完全性定理」はちょっと難しかった。何度も戻っては読み、戻っては読み、という感じだった。数学的にはそれほど難しくないんだが、形式的体系とそのための定義の嵐がとっつきにくく、読み進めるのに苦労した。
(オンライン書店ビーケーワンより)
数学って、不完全だったの? 「僕」と3人の少女が「不完全性定理」の真実に迫る、すべての数学者に捧ぐ魅惑の数学物語。「数学ガール」シリーズ第3弾。
まず前半の見どころとして「ペアノの公理」が出てくる。普段当たり前のように使っている自然数について、その存在を数学的に定義していく。普段自分たちは1の次は2で、2の次は3で、といった具合に永遠に続いていく自然数を当たり前のように使っているわけだが、実はこのペアノの公理の上に成り立っていることを思い知らされる。そして、これが本作品のテーマ、ゲーデルの不完全性定理にまでつながっていくのがスゴイ。
ここを読んで気づくのは、やはりテトラちゃんが自分のような凡人の疑問を代弁してくれているということ。これは前作までと変わっていない。この非常に的確な疑問に主人公やミルカさんが答えていくことで、読者の理解が深まる形になっている。特に数学的帰納法に関する説明についてドミノ倒しを例に説明したり、動的に見えて実は静的で、論理の力で集合全体を一気に捕まえていると説明したりする辺りは一般人にも本質を理解しやすく、さすがだなぁと思った。
まぁ、前半は比較的簡単な話題ばかりだった。中盤の「数学を数学する」という辺りが最初の難所か。ここで論理式の意味を考えない、つまり真偽値を使わない構文論的方法を駆使して形式的体系(ここでは仮に「H」と呼ぶ)を作っていく話が展開。これがすげー難しい。意味を考えるなと言われても、ついつい考えてしまい余計にややこしくなる。見るなと言われるとついつい見てしまう感じか。違うか。。。 それでもミルカさんの説明に沿って順々に理解していくと、論理式、公理、推論規則の定義から定理の証明までがこの形式的体系Hによってきちんと説明され、数学を数学したことを実感できるからすごい。
そして、イプシロン・デルタ、対角線論法を何とか読み進めていくと、その後はまた少し簡単な話題に。というか、この辺はミルカさんとの遊園地デートとか、ストーリーの方に気を取られた。ソフトクリーム間接キスとか高所恐怖症とか、この遊園地デートは萌えの宝庫だった。さらにその後に重大発表が。。。どうやらミルカさんは高校卒業後、海外留学するらしい。
さて、そんなこんなで気づいたら最終章だった。いよいよゲーデルの不完全性定理に挑む。ミルカさんの叔母である並倉(ならびくら)博士の私設図書館が舞台となる。この双倉図書館のロゴの図形的な不思議さが目を引いた。アンビグラムというらしい。
この章では、全体を春夏秋冬と新春に分けて、意味の世界と形式の世界を行き来しつつ、難問「ゲーデルの不完全性定理」をアタックしていく。
《春》形式的体系Pの定義
《夏》ゲーデル数の定義
《秋》原始再起的関数と原始再起的述語の定義
《冬》《pはxの“形式的証明”である》という術語を原始再起的述語として定義(46個もの定義をただひたすら追っていくのが大変だった)
《新春》八つのステップ《種》《芽》《枝》《葉》《蕾》《梅》《桃》《桜》から構成され、最後の《桜》で決定不能な文を構成し、ゲーデルの第一不完全性定理を証明する。テトラちゃん作成の「《新春》という旅の地図」がすごく分かりやすい。つーか、これを最初に示してくれたらもっと楽に読めたのに。。。構成上無理だとは思うけど。
というわけで、何とか読み終えたんだけど、今作はテトラちゃんの成長ぶりが目を見張った。今まで数学が苦手な女の子ってイメージが強かったが、もう立派な数学娘になっていた。それにバタバタっ娘っていう落ち着きのないイメージもなくなり、特に成績低迷で自己嫌悪に陥る主人公を慰めるシーンでは全く違ったテトラ像が描かれていた。主人公に対する好意はミエミエで、主人公の鈍感さと相まってイタイ二人って感じもあったが。。。
次作では一体どうなるのか。テーマも気になるところが、テトラちゃんとの関係も楽しみだ。個人的にはミルカさんとは結ばれるより、テトラちゃんと結ばれて欲しい。まぁ、ユーリはないな。
デトロイト・メタル・シティ
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予想以上に楽しめた。根岸、いや、ヨハネ・クラウザーII世役の松山ケンイチがとにかくハマリすぎ。根岸のキモさとクラウザーの変人さの二重人格っぷりが見事に表現されている。つーか、松山ケンイチってスゴイかも。DMCの他の2人も原作の雰囲気どおりで満足。
この手の映画は原作の良さを台無しにしがちだが、原作の良さに映画ならではの良さが加わって、また違ったデトロイト・メタル・シティ像になっている。まぁ、原作をそれほど読み込んだわけじゃないので、あんまり調子いいこと書いてると「SATSUGAIするぞ!」とか言われちゃいそうだが、これはこれでアリだと思った。
残念ポイントといえば松雪泰子。これはちょっとキツかった。デスレコーズの社長はハスキーボイスのイメージがあったので、松雪のヒステリックに高い声はちょっと合ってないと思った。それから最後の最後がイマイチ。相川さんのスカートをめくって終りって、、、
(シネマトゥデイより)
純朴な青年、根岸崇一(松山ケンイチ)は、ポップミュージシャンを目指して大分県から上京していた。だがひょんなことから人気悪魔系デスメタルバンド“デトロイト・メタル・シティ”のギター&ボーカルとして活動することになる。彼らのデビューシングルは大ヒットを記録し、崇一は自分の意思とは関係なくカリスマ悪魔歌手に祭り上げられていく。
おしゃれなポップミュージシャンを目指していた根岸崇一。なぜか悪魔系デスメタル界のカリスマ的存在となってしまう。大好きな相川さんにバレないように、日々悪魔メイクをしてシャウトしている。取り巻きのDMC信者のキレっぷりも最高だ。
そんなドタバタ騒ぎが途中まで続くが、中盤にストーリーが動き始める。自分の目指す音楽ができず悶々とする日々。そんな中、大学の後輩の佐治君がポップミュージシャンとして成功しつつあることを知る。自分の不甲斐なさを悩んでいたある日、相川さんがクラウザーにダメ出しする。
根岸は夢を諦め、大分の実家に帰る。息子が夢を諦めて帰ってきたのに、お母さんは明るく迎える。いいお母さんだ。つーか、冒頭では純朴な田舎少年だった根岸の弟が完全なDMC信者となっていて、長髪で金髪になり、高校にも行かずに家でゴロゴロしていた。普通なら家庭崩壊並みの状態なのに、このお母さんはすごくのんびり。DMCのTシャツして農作業してるし。。。 いやぁ、このお母さんのほんわかっぷりがとにかくたまらん。
もうクラウザーにはならないって決めてたはずなのに、なぜか衣装を持ってきていて、クラウザー姿で弟に家の手伝いをするように命令したり、自慢のマッシュルームカットを公然猥褻カットという悪魔界の上級ヘアスタイルだと教えたり、この弟とのやりとりも笑えた。
一方、デスメタル界の伝説的カリスマがアメリカから来日し、自身の引退のはなむけにDMCに対決を挑んでくる。クラウザーが行方不明のまま、対決の日を迎えることになったワケだが、根岸はお母さんの後押しで再びクラウザーになることを決意し、東京に戻ることに。ここはちょっとホロッとさせられた。やっぱりこのお母さんいいわ。
あとはお決まりの展開。クラウザーが見事復活して逆転勝利。相川さんもなぜかクラウザーを応援して、ハッピーエンドって感じ。
つーか、相川さんと根岸のお母さんは根岸がクラウザーだってことに気づいてたっぽい。確か原作は気づいてないはずなので、この辺は映画ならではの演出だろう。これをうまくストーリーに溶け込ませ、エンディングに結びつけたのはさすがだ。
映画とは関係ないが、ヒロイン相川さん役の加藤ローサ、カミュ役の秋山竜次、そして佐治君役の高橋一生がドラマ『特急田中3号
・デトロイト・メタル・シティ@映画生活
「楽勉力」で子どもは活きる!
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親力メールマガジンの親野智可等(おやのちから)氏の著書。
子どもの知識を無理せず楽に伸ばすアイディアを多数披露。実際にどうやって使うのかといった運用方法を交えながら説明しているので、実践しやすいと思う。
ただ、個人的にはすでに知っている話ばかりだったので、あまり得るところがなく、サラッと読み終わってしまった。というか値段の割りにボリュームが少ない気がする。
(「MARC」データベースより)
「楽勉」とは、生活や遊びの中で楽しみながら知的な刺激をして地頭をよくすること。カステラで分数を体験、部屋に地図帳を置くなど、楽しみながら学力がつく方法を紹介。
低学年のうちから家庭で知識の引き出しを増やし、楽しみながら学習する習慣をつければ、後々楽になるよという話。そのためにどうやって親子で過ごすのか、といったことを具体例を示しながら丁寧に説明している。すごく分かりやすいと思う。
ただ、この手の本を手に取る人は、少なからず子どもの学習に興味がある人で、そういった人には当たり前の話が大半なのでちょっと拍子抜けするかも。
例えば、「分数」の場合、家でケーキやりんごを切ったりするときに、実際に3分の1や4分の1の大きさに切って見せる。それらを実際に比較すれば、数字の小さい3分の1の方が4分の1よりも大きいことに気がつくし、そうやって自分の目で見たことは忘れにくいという話。
こういった家庭でのちょっとした取り組みから、子どもたちの頭の中に知識のきっかけが杭のように打ち込まれる。この「知識の杭」があれば、日々の生活の中でそれに関する情報が引っかかり、そこから会話が弾んだり、自分で調べたりして、自ら知識を広げていくという。流れる川に杭を立てれば、何かが流れてきたときに引っかかるというイメージだ。
それが「分数の杭」なら分数に関するいろんな情報が引っかかるようになるし、他にも「小数の杭」「慣用句の杭」「気圧の杭」など、いろんな杭を打ち込めば、子どもが日常生活の中でそれらに関する情報を拾い上げ、人に聞いたり自分で調べたりしていく中で無理なく知識の幅を広げていくという考えだ。
全体的に当たり前のことが多かったが、星座かるたと学習漫画の話はなるほどなぁ、と思った。星座かるたは全く考えつかなかったから単純にいいなと思った程度だが、学習漫画は存在も知っていたし、その効果もある程度は分かっていたのに、今まで重要視していなかった。なので純粋になるほど、、、と思った。
確かに学習漫画は子どもの知識を広げるのに重宝するだろう。漫画だからと敬遠せずに便利なものは使うに限る。さすがに100冊200冊ってのはいかがなものかと思ったが、、、
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絶対学力―「9歳の壁」をどう突破していくか?
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知る人ぞ知る「どんぐり倶楽部」の糸山泰造氏の教育書。受験対策本ではないので要注意。
本書の対象は低学年の子供を持つ親だが、中学受験の対策本ではなく、あくまでも教育指南書的な位置付け。一応中学受験対策にも言及しているが、基本的には中学受験には反対的な立場をとっている。低年齢化した受験対策への警鐘といった意味合いもあり、その過激な内容は心構えがないと受け入れられないかも。
特に公文や100マス計算といった反復学習を真っ向から批判していて、そのヒステリックな批判っぷりには正直びびった。
やってはいけない家庭学習ワースト10というのもあるが、多くの人がドキッとさせられるんじゃないだろうか。
でも、子供たちに対する愛情は確かで、随所に暖かい表現が見られる。本当に子供たちを第一に考えているんだろうなぁ、と思った。
(オンライン書店ビーケーワンより)
基礎学力とは計算を速くしたり、漢字を暗記することではない。教育とは人生を楽しむことができる力を育てることだ。塾の講師に指導方法を教える立場にあったカリスマ講師が提案する「考える力」の育て方とは。
塾や受験といった何かの基準や母体に対する学力(相対学力)ではなく、あらゆる思考の根底にある本当の学力(絶対学力)の養成を提唱している。そのために必要なのは目で見て視覚イメージで考える力でこれを視考力と呼んでいる。ちょっと難しい感じがするが、実は大人はこの視覚イメージによる思考ができており、これと同じことを子どもにも教えよう、そうすればあとは子どもが自力で難局を切り開いていける。そういうことらしい。
そして、この視考力を育てるための良質な問題というのが巻末についているのだが、ちょっと、、、ここだけはワケ分からんかった。うさぎのピョンとビョンとバビョンが出てきて、、、この名前だけで頭がこんがらがる。他にもカタツムリのムーリー君とか、本当にこの設定が必要なのかどうか悩んでしまった。でも絵に描いてイメージするためにあえてそういう設定が必要なのだろう。
さて、著者は大手進学塾で講師を指導する立場にいた経験から、進学塾の考え方にも熟知しており、商業主義の進学塾に批判的な意見を連ねている。言葉使いの過激さもあって、これまで塾様万歳本を読んできた親、それから実際に塾に通わせている親にはズシーンとくるものがありそう。無料テストからの入塾勧誘マニュアルは一見の価値アリ。こんなの公開しちゃって業界団体から抗議が出ないのか心配だけど、、、
また、教育アドバイザーとして子育て論や学校との関係についても触れていて、学校と家庭の住み分けについて提案している。学校は社会性を身につける場、学習すべき内容を知らせてくれる場。家庭は個人指導が適しているしつけと学習内容の理解度を確認する場という住み分けだ。なるほど、、、
そして、成功とは結果に対する評価ではなく、過程に対する評価の言葉であり、何かを達成できなくても、そのためにした努力と工夫に与えられるものだと著者は言っている。当たり前のことだが、誰しもが気づいていないことかもしれない。この考えがあればテストや受験の結果に一喜一憂せずに自信を持って生きていけるのではないだろうか。
確かに言葉は過激だが、それだけ真剣に子供たちのことを考えているってことだ。続編もたくさんあるので、必要と思うところだけ取り入れるというのもアリかもしれない。半端なことすると著者に怒られちゃいそうだけど。
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